ZiMA(VJ・プロデューサー)

 今回の4人のPlayerの中にあって、この男が“何の何”なのかが一向に掴めない。今日QuartzComposerをいじっていると思ったら、明日はサックスを吹いていて、明後日には仲間を集めてパーティーをしているかもしれない。僕が大企業の役員で面接官だったら「一体君は何がしたいんだね」とイラつき気味に詰問すると思う。

ZiMA(VJ・プロデューサー)
インタラクティブ系コンテンツで新しい感覚を生み出すインタラクティブ系VJ。Gunze Body Wildフラッグショップにおけるプロモーションを手がける等、クラブイベントから店頭プロモーションまで幅広く活動している。
Twitter @nakajista
練馬アトリエ http://www.nerima-atelier.net/
ZiMA http://flavors.me/nakajista

 人を分類するという行為はもはや創造的ではない


 中島唱太(ZiMA)は昔からそうだったらしい。中学の文化祭でビートルズを弾き語り、映画のメイキングなどでよく見るブルーシートを学校で張って特撮を撮っていた、と。小5の夏休みの自由研究にはCGの作品集を提出した。どうかしている。


 この未確認生物にはいくつもの肩書きがある。映像作家、フリーランスプロデューサー、サックスプレイヤーなど。これらを詳しく説明するとそれだけで話が終わってしまう。それらのバイオグラフィーは彼のHPをチェックしてもらいたい。ただ、現在#2まで彼が発刊したZine「SOZO」にはこうある。


「もとより人を分類するという行為はもはや創造的ではない」

“名前って何?バラと呼んでいる花を別の名前にしても美しい香りはそのまま”と謳わせたのはシェークスピアだ。今必要なのはシニフィアンじゃなくてシニフィエだ。


 この俯瞰具合が彼らしさなのかもしれない


 本人も「手を出しすぎて困っている」と活動を振り返る。しかしそこに確かに通奏低音は流れている。クリエーションをするとき何を意識しているかとの問いには明確な答えが返ってきた。

「時代をまず考える。その時代に合った面白いことをやろうと常に考えている」

 例えば地方都市でまちおこし的な活動をしたり、オーガナイズしているイベントや関わっているプロジェクトから、ローカル感を大事にしているのかなと僕は思っていた。じゃあそれが活動の動機かと聞くと「それはたまたまの成り行き」と返ってきた。これは「地元を元気に」をエンジンにしている訳じゃなくて、地方都市の衰退という「この時代」を考えてのアクションなのだ。ZiMAはもう一つでかいマス目で世界をみている。この俯瞰具合が彼らしさなのかもしれない。現に既出の「SOZO」では地方都市の閉塞感にも言及している。そもそも「SOZO」のコンセプトは“時代を切り取るビジュアルブック”だ。

 デジタルに生っぽさを


 父親が映像制作のプロなのもあって、小さい頃からパソコンで何かをいじるのが好きだった。美大時代を「ファインアートに対してのデジタルワークにコンプレックスもあったのかもしれない」と振り返る。それが底流にあるのだろう、映像作家ZiMAとして活動するとき「デジタルに生っぽさを入れたい」と話す。それは例えばVJに生身の素材を使うといったところに表れているという。

 間違いなく危険人物だ


 この一年だけでも明らかだが“the the world is shaking”だ。彼はこの変革を楽しんでいる。変化の時代のキーワードは「シェア」だ。僕たちの世代の強みは、一方通行じゃなく共有。レールに乗って、安定を求め、上の世代にならった人生を送りたいと思っている人は彼に近づかない方がいいかもしれない。間違いなく危険人物だ。そうじゃない人は乗ってくれればいい。
 この時代のうねりを大きくするのはZiMA、そして僕たち自身だ。

 

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